1869年(明治2年)、和歌山市生まれ。
多紀家は代々、国学・漢学を学び、紀州藩で祐筆・内記などの役職を務めており、仁之助も幼時から、国学・漢学を志します。
小松原小学校、吹上小学校、自修私学校、徳義学校と学校教育を受けるとともに、清風学院、藤沢塾など私塾でも学んだ仁之助は、徳義学校の漢文科教員として奉職。
その後、地元新聞社の主筆として活躍しますが、教育者としての自己の資質を自覚し、教育の場に復帰。
青森、和歌山の中学校で教鞭を執り、とくに旧制和歌山中学校での教員生活は25年間に及びました。
1946年(昭和21年)没。享年77。
〜多紀仁之助小伝から抜粋・要約
大正14年、仁之助が旧制和歌山中学校の向学の精神を記した漢文が「和中魂」です。
文武両道を説いた格式高い文章は漢文教材として長く用いられ、その精神は現在の桐蔭高校にも受け継がれています。